道具として使うか、頭脳として使うか
- ぽっぽさん
- 12月7日
- 読了時間: 3分
AIが急速に身近になり、調べもの、作成物、業務や勉強の補助と、だんだんその役割が人間そのものに近づいてきたなと思うこの頃。
便利ではありますが、その便利さを創作物に使用するAIグラフィック、AI写真、AI小説などを作成する人がどんどん増えてきて、人の創作物か・AIの作成物かの判断を迫られる事例も増えてきました。
▼「カエル写真」最優秀賞を取消し、受賞者が「自作でない」と申告…SNSで「AI画像と似ている」と指摘もhttps://news.yahoo.co.jp/articles/ca4007cb138fc3b9272794646f1ab7594b0072b6
この受賞作は写真やイラストの投稿サイトから引用して自作として応募していたようです。今まで必要なかった、同様の写真がネットに上がっていないか、AI作成物かなどの調査、あるいは生成AI作成物を作品として他と同様に評価するのか。判断の分かれ目です。
▼AI作句の見分け困難 妖怪川柳コン今年で終了https://news.yahoo.co.jp/articles/90fa3233f88ec5c9d4d8336204985e6197859c65
川柳の制作に生成AIを使う。コンテストへの応募要領に規定がなければ出来るでしょうが、それで応募して楽しいのか?が疑問。賞金目当てなら分からなくも無いけれど、純粋さや無邪気さはそこには無さそうです。
また、ごく最近では熊が町の近くに出没していると避難騒ぎになったあと、その熊の写真がフェイク画像であったことが分かり避難解除された例もありましたね。
▼町投稿のクマ出没画像 生成AIのフェイクと判明
私個人の考えとしては、
学校の宿題は大変でしたが、親や兄弟に手伝ってもらったことのない子供だった自分からしたら、質問はいいけど自分でやれ!だし、
会社の安全標語や品質標語の募集には悩まされたので、これはAIで作ってもいいのではと思う。
社会的に問題になりそうなフェイク画像を、身内とはいえ拡散するのは思慮が足りないな、大人なんだからさぁ。
つまり、学生のうちは勉強を主体的にやってもらいたい。
社会人は会社の業務が中心なので、副次的な依頼にはちょっと具体的な使用もいいんじゃないかと思う。フェイク画像はそれで笑いでもとろうと思ったんだろうけど痛いな、というところ。
創作物は純人間作品と生成AI作品と部門を分けてくれれば、それぞれを楽しめるように思う。
ただ、今はちゃんとした区分けがされていないがために、小説投稿サイトやイラスト投稿サイトなどでも一人が毎日100以上の作品を投稿して新着情報やランキングを結果的に「荒らした」と判断され、AI作成物に対する嫌悪感を生んでしまっていることが残念だと思う。
私も最近はブログを作成するときに補助的に使うことがある。また、問題作成などのベースにAIを使い、作成時間を短縮したりもした。これから特に広告宣伝の分野でのAI活用が必要になっていくとは思うが、まず自分にちゃんとしたベースがあることが大事だと思う。
途中で自分の考えが変われば当然使わないこともあるし、閃きの一助になることもある。
あくまでも使い勝手のよい道具でしかない。
私の解釈では、生成AIで作成したものを「自分の作った創作物」として扱う人は、AIをもう一人の自分と位置付けているようで、そこにはまだ違和感が存在するし使っているのか使われているのかがわからなくもあるから、今の段階では生成AI小説やイラストを「創作物」として評価することは難しいなと思う。
そのうち、自分の脳とコンピュータをつなげて、自分の中の閃きを即作品にする技術が確立されでもしたなら、それは「創作物」足りえるのではないか。
まあ、とりあえずニュース画像や投稿写真などを「これは実写なのかAI作成物なのか」と疑う気持ちが湧くのは残念な気分ですね。






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